大阪高等裁判所 昭和41年(う)1209号 判決 1966年11月28日
被告人 中村竹弥
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人柏原武夫及び同松枝述良連名作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は、原判決は証拠として岸田秀則、前田能美、高倉義雄、入江勝実、辰村浩司、斯波清蔵の検察官に対する各供述調書(検甲六、一〇、一三、一六、一九、二二号)並びに被告人及び原審相被告人立川新之助、同松田光成の検察官及び司法警察職員に対する供述調書(甲三五、四〇、四六、三三、三四、三八、三九、四四、四五)を採用し、右各証拠によつて原判示第一の(一)の事実を認定しているが、右各供述調書は任意性に疑いがあるばかりか、特に信用すべき状況において作成されたものでないことは明らかである。従つて原判決はかかる証拠能力のない供述調書を証拠として採用しているのであつて、訴訟手続の法令違反があつて、判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。
よつて、記録を精査して案ずるに、証人前田能美、同高倉義雄、同辰村浩司、原審相被告人松田光成及び被告人はいずれも原審公判廷において、同人らは警察で一ケ所に集められて、警察官から被告人が寺銭を取つたように供述したら早く帰れるとか、罰金ですむ等と言われた旨供述しており、同人らの取調べに当つた証人宮下宏及び同西村伸一も原審公判廷で、逮捕してから数日後、二回目の調書をとる前に、被告人らやそれ以外の者を一ケ所に集めて取調べたということがある。親分の不利になることは供述しない傾向が著しく見えたので親分が「ありのままを言えばよいやないか」といつてくれれば、皆が本当のことを言うと思い、私の判断でそういう取調べをした。宮下警察官は皆に「これはそんな重要事件ではないから、皆が言いたいことをまちまちに言つていたら事件が長引くばかりだし、本当のことを言つたらどうか、長引いてもつまらんやないか」と言つた、寺銭を親分に払つたかどうかの点についてまちまちだつたのですとの供述をしている。そして、右供述によつて、宮下警察官が皆に言つた言葉の裏に含まれている意味を考えると、それは、「この事件は軽い罪にあたるから、早く口を合わせて、寺銭を親分に払つたと言えば、早く出してやる」ということになり、右警察官の言葉を聞いた者が、そのおかれた立場から前記警察官の言葉を右の意味に理解したであろうことは容易に推察しうるものであつて、宮下警察官も、皆がそのように理解し、被告人が寺銭を取つた旨の供述をするに至るのであろうという効果を期待して前記のような発言をしたものと考えられる。そうすると、前記宮下警察官の発言は、被疑者らに早期釈放ないし減刑の利益を約束して、供述を要求したものというほかなく、従つて、もし右利益の約束の履行を期待して供述した者があつたとすれば、その者の供述は任意性ないし特信性に疑があるものと解するのが相当である。そこで、原判決が証拠として挙示している各供述調書の各供述者の中に右約束を期待して供述をしたものがあるかどうかについて考えるに、右各供述調書の作成日附と証人宮下宏の証言とを総合すると宮下警察官が前記発言をしたのは、昭和四〇年一〇月一八日、一九日付の供述調書を作成してから同月二五日、二六日付の供述調書をとるまでの間であることが推認できる。もつともこの点について証人前田能美は調書をとられる前に皆を一緒に会わした旨供述しているけれども、信用できない。ところで、岸田秀則については、司法警察員に対する供述調書の日付は昭和四〇年一〇月四日であつて、右発言の前であるから、その影響を受けていないものであるが、右供述調書には、三、四千円の金を「よしみ」(前田能美のこと)が「やーこ」(松田光成のこと)に「てら」やと言つて渡していた、「やーこ」はその金を下へ持つて下りた旨の供述記載があるので、同人は宮下発言以前から被告人に寺銭を渡した旨の供述をしていることになる。従つて、同人の検察官に対する供述調書の作成日附は宮下発言以後の同月二六日であつて、同趣旨の供述記載があるけれども、宮下発言の影響によつてその趣旨の供述をするに至つたものではないと認めるのが相当である。次に前田能美については、司法警察職員に対する宮下発言以前である昭和四〇年一〇月一八日付供述調書には、胴が儲けた場合は、その一割から二割テラ銭として被告人に渡すことになつている旨の供述記載があるが、未だ本件当日の寺銭について供述するところがなかつたところ、宮下発言以後の同月二五日付供述調書には、その日一万円勝つたので一割の一、〇〇〇円を被告人の妻しな子に渡した旨の具体的な供述記載があるので、この部分は宮下発言の影響下になされた疑があるとみられるけれども、同人の検察官に対する同月二七日付供述調書には本件当日の寺銭に関する具体的供述記載がなく、寺銭は一割を取られる、被告人のいるときは被告人に被告人のいないときは「やーこ」か立川か私自身が階下に持つて行つて姉さん(被告人の妻)に渡す旨の供述記載があるのみで、むしろ、前記一〇月一八日付供述調書の供述内容と同旨であつて、ただ寺銭の渡し方をやや詳しく説明しているに過ぎない。そうすると、同人の検察官に対する供述調書は宮下発言による影響によつてなされたものとみることはできない。次に高倉義雄については宮下発言以前に作成された供述調書はなく、同月二五日付供述調書には、本件当日一万円生きた、その胴金のうちから、一割一、〇〇〇円が寺銭として親分に渡されることになつている旨の供述記載があり、同人の検察官に対する同月二七日付供述調書にも同趣旨の供述記載があるけれども、これらはいずれも宮下発言以後であるし、証人高倉義雄は原審公判廷において、寺銭のことも警察では何でも言うたら早く帰れると言いましたので言つた旨の供述をしているのであるから、右各供述記載はいずれも宮下発言の影響によつてなされた疑があり、従つて任意性ないし特信性に疑があるといわざるをえない。次に、入江勝実については、司法警察職員に対する供述調書は、宮下発言以前である同月一八日付と、それ以後である同月二六日付の各一通があるけれども、いずれも寺銭についてはどうなつているのか知らない旨の供述記載があるところ、同人の検察官に対する同月二七日付供述調書には、勝金の一割を寺として出します。立川がこのテラをもつて階下へ下りて行き、金を渡して来た事がある、被告人が嫁さんかに渡して来たものと思つている旨の供述記載があるけれども、前記のように宮下発言以後である同月二六日付の司法警察職員に対する供述調書においても、寺銭については知らない旨述べているのであるから、さらにそれ以後の検察官に対する供述調書作成時には、宮下発言の影響を受けていないものとみるほかはない。次に、辰村浩司については、司法警察職員に対する宮下発言以前である同月一八日付供述調書には、寺銭に関する供述記載がないのに、宮下発言以後の同月二五日付供述調書及び検察官に対する同月二七日付供述調書には、胴が生きると寺銭として一割を被告人か姉さんに渡す、その日もおそらく、前田から中村さん方に一、〇〇〇円位の金額を寺銭として納めていることと思う旨の供述記載があるところ、証人辰村浩司の前記証言に照らし、右各供述は宮下発言の影響によつてなされた疑があり、従つて、任意性ないし特信性に疑があるものといわざるをえない。次に斯波清蔵の検察官に対する供述調書についてみるに、証人斯波清蔵は原審公判廷において、逮捕されて二日目には帰りました、ほかの者と一緒に集められたことはない旨供述しているのであるから、宮下発言を聞いていないと思われるので、その影響を受けたとは考えられない。次に被告人及び原審相被告人立川新之助、同松田光成についてはいずれも宮下発言の前後を通じ、司法警察職員に対し、胴の儲けの一割を被告人がとつている旨一貫して同趣旨の供述をしているのであるから、宮下発言以後もその影響によつて供述したものではないとみるほかはない。以上のように原判決挙示の証拠のうち、高倉義雄及び辰村浩司以外の者の各供述調書は宮下発言の影響によるものではないと考えられるので、これらについてさらに他に任意性又は特信性を疑わしめる事情がないかどうかについて考えるに、証人入江勝実は原審公判廷において、検察庁で、「お前も言わなきや帰れん」と言われれ、早く帰れるのならいいわと思つて立川が「てら銭」と「かみした」の金とを一緒に持つて階下へ行つたと述べた検察庁の調べは私にはきつかつたと思う旨供述しているところ、同人は司法警察職員に対する供述調書二通においては、いずれも寺銭については知らないと述べているのに、その翌日の検察官に対する供述調書においては、前記のごとく比較的詳しく述べているところから考えると、右証人入江勝実の証言は、否定し去ることができず、同人は検察官の「お前も言わなきや帰れん」との言葉の裏に含まれた意味を「言えば早く帰してやる」と理解したものと思われるし、検察官も同人がそのように理解するのであろうという効果を期待して、そのように発言したものと思われるので、入江勝実の検察官に対する寺銭に関する供述は脅迫と利益の約束に基づく疑があり、その任意性ないし特信性に疑いがあるというほかない。そして、同人以外の者に対する各供述調書には任意性又は信用すべき特別の情況を疑わしめる事情を発見することができない。もつとも、原審相被告人立川新之助は、原審公判廷において、検事から「そんなことあるけえ、お前ら嘘ばかり言うててお前ら懲役に行つてきたらいいのや」と言われたので、寺銭のことを述べた旨供述しているけれども、同人の司法警察職員(二通)及び検察官に対する供述調書は、大要において一貫しており、検察官の右脅迫があつたから寺銭のことを供述したという右供述は信用できない。なお、所論は、搜査官の見込みによる強引な誤導のあつたことは、二階に鍵の設備さえなかつたのに鍵をかけて賭博をしていたという供述調書まで作成していることからも容易に推測し得るところであるというのである。しかしながら、斯波清蔵の検察官に対する供述調書には、夜間勝負しているとき、表戸には鍵がかけてあります旨の供述記載はあるけれども、二階に鍵をかけて賭博をしていたという供述記載のある供述調書は、記録を精査しても発見することができない。これを要するに高倉義雄、辰村浩司及び入江勝実の各検察官に対する各供述調書中寺銭に関する供述記載部分には、任意性ないし特信性に疑があるのにかかわらず、原審は特にその部分を排除せず全面的に証拠として採用し、且つこれを判決に挙示しているのであるから、原審の訴訟手続には法令の違反があるといわなければならない。しかしながら、後段に説示するように、右各供述記載部分を除いても、原判示第一の(一)の事実はこれを優に認定できるので、右の違反は判決に影響を及ぼすものではないから、原判決を破棄すべき理由とならない。論旨は理由がない。
控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は、被告人は寺銭を徴して利を図つたこともなく、勿論寺銭を受取つたこともないというのである。
しかしながら、前段に説示したように高倉義雄、辰村浩司及び入江勝実の各検察官に対する各供述調書の寺銭に関する供述記載部分は任意性ないし特信性に疑があるので除外するところ、右除外したその余の原判決挙示の各証拠を総合すれば、原判示第一の(一)の事実は被告人が寺銭を徴して利を図つた点を含めて、これを認めるに十分である。すなわち、被告人は博徒団体中村組の組長であるところ、昭和四〇年五月頃から、原判示場所において、子分や素人衆が原判示のごとき賭博をしばしば行なつていたが、胴が勝つた日には、その勝金の一割を寺銭として徴収することと定め、その日の賭博が終ると、これを被告人又は被告人の妻中村品子が受取つていたこと、原判示当日もこれを受取つていることが認められる(但し、右各証拠によつてはその金額は判明しない)。右認定に反する証人前田能美、同高倉義雄、同入江勝実、同岸田秀則、同湊太郎、同西川淳二、同辰村浩司、同斯波清蔵、同中村品子、原審相被告人立川新之助、同松田光成及び被告人の原審公判廷における各供述部分はいずれも信用できない。その他記録を精査しても原判決に所論のごとき事実の誤認を見出すことができない。この点に関する論旨も理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により、主文のとおり判決する。
(裁判官 笠松義資 佐古田英郎 荒石利雄)